ポスター印刷のコラム記事

電車や駅で能動的に情報を提供するポスターの役割

インターネットが氾濫した昨今では、知りたい情報は能動的に取ることができます。それとともに、受動的に情報を与えるポスターの役割はどうなっているのでしょうか。実際にポスターを街中に貼るよりも、インターネット上の広告媒体を利用したほうがよいのでしょうか。

いいえ、今でもポスターの需要は大きいと思います。毎日の通勤で必ず目に入る電車の中吊り広告などはその最たる例です。電車では最低でも数分はその広告が見れます(読めます)ので、少しメッセージ性のある文章があるといいでしょう。さらに「考えさせる」ようなメッセージを提示できるものであれば電車を降りた後も人々の頭の中にしばらく残るでしょう。

また、意外な情報・メッセージであれば、考え事をしていてなかなか頭がリフレッシュできていない人たちの意識を少し変えることもできてよい効果があるでしょう。

駅のホームや構内にあるポスターは、日々人々が歩いて通過するところにあるものですので一瞬で理解できるコンセプトである必要があります。ここでは、一瞬で内容を理解させることがもちろん大事ですが、それに加え、非現実なポスターなど(例えば、リゾート地のきれいな景色など)が一瞬目の前に広がるとそれだけで、少しエネルギーにつながることもあります。

こういったポスターには情報を与えるだけでなく、毎日の生活で忙しい人々の目を、意識を少し和らげ、リフレッシュやエネルギーチャージになるという役割も兼ね備えています。これこそ、能動的に得る情報媒体からは得られないものですので、どんなに科学が発展しようともポスターの重要性が失われることはないでしょう。

情報伝達の方法として、近年もっとも発達したものといえば「インターネット」に他ならないでしょう。私たちは自分の興味のあることや疑問に思ったことをパソコンや携帯電話の画面を見つめながら情報を追いかけています。
では、伝えたい情報を持っている立場から考えるとどうでしょう。立派なホームページなどを作っていたとしても、そこへ来てもらえなければ、誰にも見てもらえない。つまり受け身で「待っている」ということになります。これだけではやはり「伝える」ことは不十分と言えるでしょう。
ただ待つのではなく、「能動的」に情報を届けるにはどうすればよいか。その方法として、チラシやポスターといった印刷物が挙げらます。特にポスターは、街中に貼り出されることで、不特定多数の人々の目に触れることになります。伝えたいイメージや言葉を人々の目の前に届けることができるのです。もともと興味を持っていた人はもちろん、そうでなかった人々にも興味を持ってもらうきっかけになるはずです。

ポスターに釘付けになれる場所があります。忙しい日々の中で一瞬の「釘付け」を可能にする場所。それは、「駅のホーム」です。
次の電車が来るまでのほんの数分間、思いがけない空白の時間が、人々を何かを開放するのか、ホームの中央、時刻表などの隣に大きく貼られたポスターの美しさが一瞬のうちに人々を捉えるのです。貼ってあるのはほぼ目の高さ、近づいてマジマジと見入ることもできます。隣のホームからでもよく読めるほど大きなポスター。新聞紙の何倍もある大きなポスターをわずか10センチのところまで近づいて見ることができます。
怪しまれずに、そんなに近くで観賞できるのも、狭いホーム、読ませるための掲示板に貼られているからこそでしょう。映画やTV番組のポスターだったり、観光地のポスターだったり、イベントや展覧会のポスターだったり、、、。そこに映し出されている小道具や衣装の質感、美術品のディテールなどをまるで手にとって味わうかのように詳細まで観賞できるのです。
最近のポスターは解像度も高く、どんなに近づいて見ても、荒れてボンヤリすることなく、好奇心を満たしてくれます。美術館や工芸展のポスターなどは特に美しい。実際に入館して本物を前にしても、ここまで顔を近づけて見ることはできない、そんな近見が可能です。
でも、電車が来れば、その鑑賞会は終了。慌しい暮らしの中に、一瞬生まれては消える幻のようなひと時。カメラと印刷技術、そしてポスター製作者の芸術性の高さがこの現象を可能にしてくれています。